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地図でスッと頭に入る上書き日本史
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目次
- はじめに
- 日本史 世界史並列年表
- 目次
- 【第1章】こんなに変わった歴史のターニングポイント
- 人類の誕生/人類の起源は、いったいいつ頃?
- 稲作の始まり/弥生時代の始まりが700年くらい早まった
- ヤマト政権の発祥/「大和朝廷」とは呼ばれなくなった
- 平城京遷都/藤原京建設からわずか16年で遷都した理由が判明!?
- 平安京遷都/平安京は左右対称ではなかった!?
- 院政の始まり/実は時代に即した合理的な政治体制だった?
- 鎌倉幕府成立/「イイクニ作ろう」はもう古い!?
- 戦国時代の始まり/応仁の乱が勃発するよりも早く、関東で始まっていた
- [コラム:神と仏の日本史]【天皇陵の呼び方】 「仁徳天皇陵」は「大仙古墳」に被葬者は仁徳天皇ではない?
- 【第2章】覆された国際交流の常識
- 卑弥呼の遣使/三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡ではない?
- 遣隋使/隋との対等外交の樹立はウソだった!?
- 遣唐使/じつは成功率7割! 意外に高い確率で帰って来られた留学生
- 遣唐使廃止/じつは廃止後の方が、日中交流が盛んになった
- 鉄砲伝来/鉄砲を日本へもたらしたのは倭寇とポルトガル人だった
- 鎖国/完全に国を閉じていたのではなく、4つの窓口があった
- 黒船来航/幕府はペリー来航を事前に察知して備えを進めていた
- [コラム:神と仏の日本史]【法隆寺建立】最初の法隆寺と焼け跡が出土 じつは670年に焼失し再建されていた
- 【第3章】大きく変わった日本人のくらし
- 縄文時代/狩猟採集生活を送る平等社会というイメージが覆された
- 国風文化/遣唐使廃止以前からすでに日本独自の文化が芽生えていた
- 貴族政治の実態/貴族は多忙でバイオレンスな日常を送っていた
- 武士の登場/武士は、地方ではなく都で生まれた
- 戦国時代/すべての戦国大名が天下を取ろうとしていたわけではなかった
- 刀狩/秀吉の「刀狩令」で庶民が丸腰になったわけではなかった
- 参勤交代/大名行列の威厳あるイメージとは程遠い実態
- 士農工商/厳格な身分制度は存在しなかった
- 慶安の御触書/江戸時代の身分差別を強調するための捏造だった?
- 生類憐みの令/徳川綱吉は野蛮な気風を排除した改革者だった
- 四民平等/教科書から「四民平等」が消えた理由
- [コラム:神と仏の日本史]【鑑真の来日】5度の渡航失敗で失明したとされるが、じつは失明していなかった
- 【第4章】 日本史を揺るがした大事件
- 乙巳の変/逆族を滅ぼす大義が否定され、権力闘争に
- 足利義満の栄華/足利義満の皇位簒奪計画は完全否定されていた
- 倭寇の跳梁/海賊集団に日本人はほとんどいなかった!
- 一国一城令/じつは修復可能程度にしか破壊されていなかった
- 田沼意次の政治/賄賂まみれの「汚職政治家」が再評価
- 薩長同盟/坂本龍馬は結局何をしたのか?
- 《 疑問だらけの初代将軍の肖像画 》【源頼朝像】 武家の棟梁の風格に満ちた肖像画は、平重盛の肖像画だった
- 【足利尊氏像】 刀は欠け、髪を振り乱す武家の棟梁からかけ離れた敗軍の将の姿
- 【徳川家康像】 徳川家康が生涯の戒めとしたという「しかみ像」の伝説は昭和に作られた大ウソだった
- [コラム:神と仏の日本史]【鎌倉新仏教】新仏教は旧仏教に対抗したわけではなかった
- 【第5章】大きく変わった戦いの実態
- 三十八年戦争/蝦夷遠征は、「反乱鎮圧」から「戦争」になった
- 承久の乱/本当の目的は幕府打倒ではなかった?
- 文永の役/神風が吹いたのは弘安の役だけだった
- 伊豆討ち入り/北条早雲は一介の素浪人などではなかった
- 桶狭間の戦い/信長は決して義元に劣る弱小大名ではなかった
- 第四次川中島の戦い/激闘のドラマはことごとく否定された・・・・・・!
- 比叡山焼き討ち/じつはほんの少ししか焼けていなかった
- 長篠の戦い/鉄砲三段撃ちも武田騎馬軍団もいなかった!?
- 島原の乱/「島原・天草一揆」と呼ばれるようになった
- 西南戦争/「役」から「戦争」へ昇格
- 日本海海戦/連合艦隊に完勝をもたらした知られざるテクノロジー
- ノモンハン事件/ソ連軍に一方的に負けたわけではなかった
- [コラム:神と仏の日本史]【キリスト教禁止令】本気で日本征服を画策していたことが発覚!キリスト教弾圧の正当性
- 【第6章】日本経済史のシン常識
- 和同開珎の鋳造/日本最古の貨幣は「和同開珎」ではなくなった
- 楽市楽座/オリジナルは織田信長ではなく、六角氏だった
- 銀座の設置/京都にも江戸より古くから銀座が存在した
- 鉄道開業/日本初の鉄道には、日本の城郭建築の技術が息づいていた!
- [コラム:神と仏の日本史]【踏絵】隠れキリシタンを炙り出す尋問の呼び名が変わった?
- 参考文献
目次
- はじめに
- 日本史 世界史並列年表
- 目次
- 【第1章】こんなに変わった歴史のターニングポイント
- 人類の誕生/人類の起源は、いったいいつ頃?
- 稲作の始まり/弥生時代の始まりが700年くらい早まった
- ヤマト政権の発祥/「大和朝廷」とは呼ばれなくなった
- 平城京遷都/藤原京建設からわずか16年で遷都した理由が判明!?
- 平安京遷都/平安京は左右対称ではなかった!?
- 院政の始まり/実は時代に即した合理的な政治体制だった?
- 鎌倉幕府成立/「イイクニ作ろう」はもう古い!?
- 戦国時代の始まり/応仁の乱が勃発するよりも早く、関東で始まっていた
- [コラム:神と仏の日本史]【天皇陵の呼び方】 「仁徳天皇陵」は「大仙古墳」に被葬者は仁徳天皇ではない?
- 【第2章】覆された国際交流の常識
- 卑弥呼の遣使/三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡ではない?
- 遣隋使/隋との対等外交の樹立はウソだった!?
- 遣唐使/じつは成功率7割! 意外に高い確率で帰って来られた留学生
- 遣唐使廃止/じつは廃止後の方が、日中交流が盛んになった
- 鉄砲伝来/鉄砲を日本へもたらしたのは倭寇とポルトガル人だった
- 鎖国/完全に国を閉じていたのではなく、4つの窓口があった
- 黒船来航/幕府はペリー来航を事前に察知して備えを進めていた
- [コラム:神と仏の日本史]【法隆寺建立】最初の法隆寺と焼け跡が出土 じつは670年に焼失し再建されていた
- 【第3章】大きく変わった日本人のくらし
- 縄文時代/狩猟採集生活を送る平等社会というイメージが覆された
- 国風文化/遣唐使廃止以前からすでに日本独自の文化が芽生えていた
- 貴族政治の実態/貴族は多忙でバイオレンスな日常を送っていた
- 武士の登場/武士は、地方ではなく都で生まれた
- 戦国時代/すべての戦国大名が天下を取ろうとしていたわけではなかった
- 刀狩/秀吉の「刀狩令」で庶民が丸腰になったわけではなかった
- 参勤交代/大名行列の威厳あるイメージとは程遠い実態
- 士農工商/厳格な身分制度は存在しなかった
- 慶安の御触書/江戸時代の身分差別を強調するための捏造だった?
- 生類憐みの令/徳川綱吉は野蛮な気風を排除した改革者だった
- 四民平等/教科書から「四民平等」が消えた理由
- [コラム:神と仏の日本史]【鑑真の来日】5度の渡航失敗で失明したとされるが、じつは失明していなかった
- 【第4章】 日本史を揺るがした大事件
- 乙巳の変/逆族を滅ぼす大義が否定され、権力闘争に
- 足利義満の栄華/足利義満の皇位簒奪計画は完全否定されていた
- 倭寇の跳梁/海賊集団に日本人はほとんどいなかった!
- 一国一城令/じつは修復可能程度にしか破壊されていなかった
- 田沼意次の政治/賄賂まみれの「汚職政治家」が再評価
- 薩長同盟/坂本龍馬は結局何をしたのか?
- 《 疑問だらけの初代将軍の肖像画 》【源頼朝像】 武家の棟梁の風格に満ちた肖像画は、平重盛の肖像画だった
- 【足利尊氏像】 刀は欠け、髪を振り乱す武家の棟梁からかけ離れた敗軍の将の姿
- 【徳川家康像】 徳川家康が生涯の戒めとしたという「しかみ像」の伝説は昭和に作られた大ウソだった
- [コラム:神と仏の日本史]【鎌倉新仏教】新仏教は旧仏教に対抗したわけではなかった
- 【第5章】大きく変わった戦いの実態
- 三十八年戦争/蝦夷遠征は、「反乱鎮圧」から「戦争」になった
- 承久の乱/本当の目的は幕府打倒ではなかった?
- 文永の役/神風が吹いたのは弘安の役だけだった
- 伊豆討ち入り/北条早雲は一介の素浪人などではなかった
- 桶狭間の戦い/信長は決して義元に劣る弱小大名ではなかった
- 第四次川中島の戦い/激闘のドラマはことごとく否定された・・・・・・!
- 比叡山焼き討ち/じつはほんの少ししか焼けていなかった
- 長篠の戦い/鉄砲三段撃ちも武田騎馬軍団もいなかった!?
- 島原の乱/「島原・天草一揆」と呼ばれるようになった
- 西南戦争/「役」から「戦争」へ昇格
- 日本海海戦/連合艦隊に完勝をもたらした知られざるテクノロジー
- ノモンハン事件/ソ連軍に一方的に負けたわけではなかった
- [コラム:神と仏の日本史]【キリスト教禁止令】本気で日本征服を画策していたことが発覚!キリスト教弾圧の正当性
- 【第6章】日本経済史のシン常識
- 和同開珎の鋳造/日本最古の貨幣は「和同開珎」ではなくなった
- 楽市楽座/オリジナルは織田信長ではなく、六角氏だった
- 銀座の設置/京都にも江戸より古くから銀座が存在した
- 鉄道開業/日本初の鉄道には、日本の城郭建築の技術が息づいていた!
- [コラム:神と仏の日本史]【踏絵】隠れキリシタンを炙り出す尋問の呼び名が変わった?
- 参考文献